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如何に高校生に「生き方」を教えるか?

 何をえらそうに大きな事を言い出すんだ?と思われるだろなと考えますが、昨年このテーマで勤務先の保護者の皆さん対象にお話をさせてもらったことがあります。
 大きなテーマですが、この事をしっかりと考える事は大人にとって、とても大切な事だと考えます。自分の考えを再度まとめるためにも、原稿そのものは無くしてしまったのですが、メモが残っていましたので、これをもとに、当時を思い出しながら再度考え直してみたいと思います。

 そう簡単に教えられるものではないことははっきりとしています。「こう生きなさい!」と言えるものなどあるはずがないとも思います。まあ、好きに生きたらいい!というのが結論です。

 じゃあ、大人は何もしなくてもいいのかというと、そうでもないように感じます。何かアドバイスできないのか・・・。

 いつの時代においても、当時自分が生きてきた時代と今を比較し、批判をしたり、なげいたり、驚いたりする人は多いものです。わたしもその一人です。私が高校生・大学生のころは日本は希望に溢れていました。とろころが今の高校生が私の歳(61歳です)になる頃(2050年代後半)には、日本の人口は8000万人台にまで落ち込みます。高齢化率40%の予想です。
 この想像すらできない社会で、今の高校生は生きていく事になるのです。生き抜く方法を大人が教えようと、教えまいと、生きていくことになる。
 東日本大震災の時に、「津波てんでんこ!」という言い伝え(津波が来た時は、各自がテンデンバラバラに逃げろ!)を実践した学校の生徒は多くが助かり、人員点呼をして整列して非難した学校の生徒は被害が大きかったという事が報道されていましたが、この「津波てんでんこ!」に相当する、未来社会を生きるための教訓みたいなものは、ないものなのでしょうか?

 今のままの学校教育じゃダメだという思いは教育関係者にも多く、様々な取組が、アチラコチラで行われていますが、私の住んでいる札幌市でも、札幌開成高校が斬新な学校に生まれ変わろうとしています。

 先ほども、「好きに生きたらいい!」と結論したのですが、自分の人生は最終的には自分で決めるしかありません。

「これでいい!」 と思って決めたという場合とは限らず、「仕方がないから・・・」とか、「まあとりあえず決めた」というのも全部含めて、自分の人生を自分で決めたらいい。結論はここにしか落ち着きません。 素直に受け入れるしかない。

 当然、失敗もあります。トラブルもあります。苦しみもある。選択ミスもある。病気もある。
全てを引っくるめて、「自分の人生」として受け入れたらいい。

 人生はドロドロしています。どこで何が起こるかわからない。勤めている会社が倒産するかもしれない。不治の病に侵されるかもしれない。自宅が火事になるかもしれない。旦那様が浮気をするかもしれない。親友と大げんかをするかもしれない。認知症の母に悩むかもしれない。お金が無くて、あまりにも今の生活が辛いと思っていいる人もいるかもしれない。

 しかし、 生きていくのが辛くて辛くても、 それを自分の人生として、受け入れるしかない。


 ところが、時として、「自分は何のために生きてきたんだ!」とわからなくなってしまう時があったりする。
私も人ごとでは無いのですが、例えば、『30数年間、会社のために一生懸命働き続けてきた会社員が、定年退職したので、奥さんとゆっくり温泉旅行でもしたいなと夢を描いていたら、離婚届をつきつけられた。』 というような場合です。2、3年まえ、団塊の世代が定年退職していた時あたりによく新聞で報道されていました。
 この会社員が感じたことが、「俺のこれまでの人生って何だったの?」 です。

 サマセット・モームの小説で「首飾り」というのがあります。舞踏会に出るために、美人の女性が知り合いから高価なネックレスを借りたのですが、それを紛失してしまいます。この女性は同じネックレスをローンで購入し、紛失したことを隠してネックレスを返したのです。そのローンの返済のため10年間辛い仕事を続け、すっかり老け込みます。10年後、道でばったりとこの女性はネックレスを貸してくれた女性に会い、ついこれまでの10年の苦労話を話してしまいます。

  この女性が言った一言。「えっ!あのネックレスはイミテーションなのよ!」
 この10年間、ローン返済で苦労した女性が感じたであろう事が、「私のこの10年って何だったの?」です。

 二つ例を上げましたが、このような、「こんなつもりじゃなかった。自分は何のために生きてきたんだ!」と感じないために、何に注意をしたらいいのかというのが今日のブログのテーマです。

若者に教えたい事① 
 ★★★意思決定(判断)のしくみを教える★★★ 


知識→→→→→→判断→→→→→→→行動
経験       (意思決定)      (自分の人生を生きる)

簡単に表せば、意思決定の方法は上の図の通りです。

上の図の判断のところですが、人は色々な判断の仕方をします。
①データに基づき客観的に判断する。
②自分の信念に基づき判断する。
③世間・テレビ・新聞などの世の中の流れの方向に従う。
④自分が信用している人の考えを、あたかも自分の考えのように取り込む。
⑤その時の感情に流される。

人は無意識の内に、様々な判断をしているものです。①~⑥までの様々な判断基準を意識的に、無意識に使い分けて生きていっている。
 小さな判断、中くらいの判断、大きな判断を繰り返しながら、人間は生きていっています。
そしてその判断は最終的にはその本人がするものであり、教えこんだり、することはできません。
 
 しかし、人生というのは判断の連続で、その判断は一つひとつ自分でしていくものだという事は教えたいし、そのためには判断をする練習がある程度必要であると思っています。

 生徒はよく◯か☓か、正解は何なのかをよく気にするものでした。 理科の実験で「どのような結果がでれば正解なんですか?」と聞く。まず正解を知りががる。 
 この判断は◯?  それとも☓? あまり良く考えないで、結果を知りたがる。また正しいとるべき行動を知りたがる。

勤務先でこんな事がありました。
その学校は生徒指導にも力をいれており、礼儀正しく素直で従順な生徒が多かったのですが、
『バス停ではしっかりと一列に並び、歩道に広がらないこと』 という指導をしておりました。

あるとき、学校近くのコンビニの店長からクレーム電話が入りました。
『おたくの生徒がコンビニに入っていくる車を邪魔して困っている』 とのことでした。
学校の下校時、多くの生徒が歩道に綺麗に一列に並んだため、車がコンビニに入れなくなったという事だったようです。
高校生ぐらいなら、これくらいの臨機応変な対応はできても・・・とお思いかもしれませんが、できないものです。
先生に言われた通り、一列にまっすぐに並ぶという判断が◯であり、それ以外はないという判断だったようです。

判断には◯と☓の間に無数の△があり、黒か白かではなく様々な濃度のグレーという選択があることを経験させる必要があると感じました。

全校生徒を前にこんな問題を出したことがあります。
『夜おそく、あなたの自宅近くの小路で、信号が赤でした。あなたは守りますか?』
全校生徒に挙手してもらいました。
「信号を守る」と答えた生徒は1年が最も多く、3年が最も少なかったです。

「私なら、誰もいなかったら、信号を守る訳がない! ただ、もし小さな子どもが近くにいたのなら、守ったと思う」と考えを述べました。これも◯と☓の間にある△の判断の一例だと思います。

判断をするとき「この世の中に単一の正解なんてものはない」、だから議論をして「今の最善策を考えよう」
この事に気づかせる事は大切に思います。


人間は歪んだ判断をするものです。
①慣れていることを重視してしまします。現状維持です。過去の成功体験重視です。
②限られた情報枠組みで考えてしましがちです。極端な楽観論、極端な悲観論です。
③過去に支払ったコストに引きづられてしまいます。

このような「判断することを学習」するって計画的はあまりなされていませんよね? でも非常に大切だと思っています。

若者に教えたい事② 
 ★★★本物の体験をさせる★★★ 


2つ目は本物を体験をさせたいなということです。
一言でいうと、本物の喜・怒・哀・楽 体験です。 ただ体験ですから計画的にできるものと、計画的にはできないものとがあります。

◆喜 体験  愛 勝利 一歩前進 感謝される 創造(芸術) 達成(協力)連帯   まあこれらです。
 説明するまでもありません。  本物体験が必要です。

◆怒 体験  喧嘩 うらぎり 騙される 恋人の裏切り (本物の怒り 本物のうらぎり 本物の騙されること)
  やはり本物体験が必要ではないでしょうか。

◆哀(苦) 体験 別れ 離別 いじめ 仲間はずれ 受験勉強 敗戦 劣等感 ろくでもない上司
  いじめなどダメなことはわかってはいても、世の中にはいくらでもあります。これらの体験が人を成長させる場合はあるものです。 

◆楽 体験 人間は勝手に楽しいものは見つけてしまいますから、傍で考える必要なし。

中学校や高等学校で行われている部活動が実は 喜怒哀楽すべての本物体験につながる場合が多いと思います。

まあ、「本物の喜怒哀楽体験」など、誰でも考えつく事だと思いますので、簡単にしておきます。

 ただ、自分のこれまでを振り返ったとき、高校時代の劣等感体験が自分を大きく成長させてくれたのだという思いが強く、哀(苦)体験も、後々プラスになると思っています。



若者に教えたい事③ 
 ★★★安全志向スタンス+独創性志向スタンス★★★ 


今は派遣社員などの様々な労働形態があり、正社員以外の不安定な雇用の割合の増加が社会問題化しています。ブラック企業という言葉も定着しています。それを受けて安全志向で自分の人生を検討しなければならない側面があります。
 「僕の夢は公務員です!」という高校生が沢山いますが、安全志向側面から考えると一つの正しい判断です。

ただ、もう一つの自分らしい独創性スタンスをどのようにもつかです。
 
 逆にすでに、身体的にずば抜けたものがあり、

独創性スタンスは持ち合わせているが、安全志向スタンスが十分ではないという場合も考えられます。

両スタンスを意識させることは大切です。



若者に教えたい事④ 
 ★★★死ぬ直前の自分から今の自分をみつめる
                         (未来の自分から今を見る)視点★★★ 


 高校生くらいの年齢だと、将来の夢は「大金持ちになりたい。そのために会社社長になる。」と思っている人もいるものです。こういう思いが自分のモチベーションのアップにつながり、バリバリと仕事をする事になる場合もあると思います。
「なんだかんだと言っても、最後はお金でしょ!」と口には出さなくとも、そう思っている人は多いと思います。
  この考えは正しいところもあると思います。そう思っている人に気づかせてあげたい。

 お金持ちの自分が死ぬ直前の姿をイメージしてください。病院のベッドで寝ています。もう自分は死ぬのだなということは何となくわかります。そのとき、「自分はいっぱいお金を儲けて幸せな人生だった!」と思って死ねるか、ということです。

 たとえ大会社の社長さんであっても、「自社の製品が社会に大きく貢献し、すこしは社会の役に立ったなあ」とか、「設けたお金で家族全員で海外旅行に行けて楽しかった!」とかのように、お金を儲けたそのものが、自分の喜びにはつながらないのではないでしょうか?

 上の例なら、社会貢献や家族との楽しい思い出、にあたるものが本当に大切なところではないでしょうか。この部分が一人ひとり皆、異なります。

 ゆっくりと心を穏やかな時に、自分が死ぬ直前の状況まで今の自分をもっていき、『自分はどう生きたら満足するのだろう』 と自問自答し、その後、今の自分にもどし、『だから今、このように生きよう!』と考えてほしいなと思ったりします。

以上 『如何に高校生に「生き方」を教えるか!』 という事を4点にわたって、長々と書かせていただきましたが、振り返ってみますと、学校で何をどう教えるか、というものとは大きくかけ離れています(札幌開成中等学校はちょっと考えてくれているように思いますが・・)。
 生き方に関しては、その個人を如何に鍛えるかということです。学校、会社などの組織は当てにはなりません。

私は、例え一人でも、今の高校生とこんな雑談をしたいなと思っています。
でも、今の若者は、そんなこともう既に気がついているようにも感じています。
このようなブログをつくるようになって、若者のブログをみる機会も増えたのですが、自分の生き方をしっかりとイメージできている方が多くて、本当に頭が下がります。
 どうも、長々と失礼しました。

 
 










 



 

 
 
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