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最果ての地 知床岳登山

知床半島地図


山岳会に入会して、3年目となり2度の冬期間が終わろうとしている今年の3月。札幌近郊の山で、冬山・春山のスノーシュー山行の経験を少しずつ重ね、もうちょっとだけ経験の幅を増やしたくなってきた。ただ、アイゼン(10本爪以上)とピッケルは未経験である。昨年までの自分なら、間違いなく3月の知床など行きたいとも思わなかっただろうし、家族や山以外の友人に話を切り出すと、あきれられ、そして反対される事などわかりきっていた。ところが、今は知床に行ってみたいと思っている。
 

2018年3月25日の夕方5時、札幌を山仲間の3人で出発した。目的地は知床の羅臼のさらに奥の道のどん詰まり「相泊」。ここが登山開始点となるが、25日は旭川泊まり。


次の日はテント泊だから、元気をつけるために、佐呂間の牡蠣を頬張る。
この牡蠣をよじ登ったら、滑落しそうだなあ!
旭川の「サロマ湖」で食べた牡蠣


遠い遠い知床の相泊に着いたのは出発した日の翌日の13時を過ぎていた。羅臼のビジターセンターでの情報収集、そしてフードボックスの借入れ、警察への登山届け提出、そして安全祈願等を済ませるとこんな時間になってしまう。
 出発するには、共同装備の配分等を行うとさらに時間は経ち、全員40~50㍑程度のザックであるのでザックは大きくふくれあがり、重量もなかなかのものである。



相泊漁港にて ザックサイズが40㍑に冬用シュラフ、4人用テント、食料を何とか詰め込む。
相泊港出発



まだ流氷のわずかに残っている海岸沿いにカモイフンベ川河口まで歩いた。
まだ流氷の残る海



橋は流されているとの情報をCLが得ていたので札幌で渓流釣り用の太ももまでの長靴を持参したが、使用する必要もなくスノーシューのまま渡渉し、いよいよ川に沿って登山開始である。傾斜はゆるく、樹木の多い林を、慣れないザックの重量で首の痛みを気にしながら1時間半程度で幕営地点に到着した。16時半になってはいるがまだ明るい。近くの水場で水を確保し、4人用テントに3人が落ち着いて、その日はなんとか終了した。


デポ旗をテント周辺に立てた。ちょっと怪しい。
カモイフンベ二股にてキャンプ


 雪上でのテント泊は昔には経験はあったが、今の自分の身体がどう受け付けてくれるのか心配しながらのテント泊であった。シュラフは昔の巨大な冬用を持参している。マットも念のため2枚持ってきた。ダウンの防寒着も持参した。夜中に寒くて何度も目を覚まし、眠れていないように感じもしたが、実際は寝ていたようにも思える。つくづく実経験は大切だと思う。床に敷いた薄い銀マットがこんなにも有効である事がわかったし、テント内で大量の湯を沸かしてもテントは結露一つしない事もわかった。しかしこれが気象条件が変わればどう変わるのかは、次の経験を待つしかない。
 
  翌朝はなんと雨音で目が覚めた。天気予報は「午前中は晴れ」のはずであった。どのように変化したのか電波圏外で再確認の術はない。CLの結論は「待機」である。「待機し、10時に出発可能なら出発する。無理なら翌日トライ。」となった。すぐに止みそうな雨の降り方ではなかったが、9時半には雨もあがり10時半に出発する事ができた。荷物の多くはテントに残していくのでザックはかなり軽い。しばらく歩くと、しだいに疎林になり気持ちよく、標高600㍍あたりの急な南東尾根の下までたどり着いたのが12:50。気になるのはは「これから核心部なのに、もう既に12:50だ。」という思い。リーダーもさることながら、自分自身でもこれからのタイムスケジュールの計算を繰り返す。言える事は、「目の前の急斜面を暗くなってから下るのは避けたい。その後、しっかりと幕営地点まで辿りつくこと。」

遠くに 国後島 が見える。流氷が見える。
国後遠望




 今から自分自身としては初のアイゼン・ピッケルによる登山が始まる事になった。滑落した場合のピッケル・アイゼン操作方法はテント場で聞き、練習もした。また、急尾根を登りながらアイゼンの踏み込む角度、向き、ピッケルの雪面への刺し方も何度も教えてもらった。指導は受けたが、結果の責任は当然、自分自身に降りかかってくる。つまり、滑落したら落ちるのは自分であり、指導の仕方が悪いと文句を言っても意味がない。
 

緊張した。一瞬一瞬、気を抜かないように自分を戒めた。
ガリガリ急登斜面

アイゼンの歯は新雪の下の氷によく噛んでくれるが、ピッケルがなかなか氷に刺さってくれない。両手を使ってピッケルを突き刺す方法などを聞きながら一歩一歩登っていった。
本当に確実に一歩、そして一歩。「慣れてきて、無意識の一歩」は絶対にあり得ないと自分に言い聞かせた。一歩に集中し、次の一歩に集中し、そして次の一歩に集中した。
 定山渓天狗で滑落・肩脱臼した一昨年を思い出した。でもそのときは10㍍下に沢があった。今は自分の下には300㍍は何もない。ということは滑落停止できなかったら、300㍍は落ちるという事である。滑落すれば間違いなく命は危うい。これは教えられなくてもすぐにわかる。集中して、一歩、 一歩、 一歩。1時間半で急登を登り終え、1000㍍付近の知床台地に着いた。まだ山頂は見えない。風はかなり強い。時間は15時半になろうとしていた。すでに核心部はクリアしたとは言え、山頂まで、まだ先は長い。標高1015㍍付近で引き返す決断となった。
 

経験豊富なリーダーとツーショット
知床平まで登る

登りながら考えていたことがある。「下りは登り以上に危険なのではないか?」という疑問である。「踵から踏み出せ!」と教えてもらった。すこし気温が上がってきているのか雪が少し緩くなっているような気がする。ピッケルはよく刺さる。柄の中ほどまで雪中に刺さり、ぐらつかない時の安心感はなんとも言えず心地よい。下りも一歩、一歩丁寧に下っていった。30分位下った時、踏み込んだ踵が新雪の下の氷を踏み抜き、氷の下のザラメ雪が大きく崩れ尻餅をついた。なぜかこの瞬間は焦らなかった。すぐに俯せになり脇を締めてピッケルの頭部を雪に突き立てた。滑る事はなく身体はすぐに安定した。これは誰も見ていなかった。その後は落ち着いてスノーシューデポ地点まで安全に下る事ができた。まだ何とかヘッドライト無しでも作業はできる。

  途中でヘッドライトをつけ、18:30に無事に幕営地点まで到着した。到着したのはホテルではなく、風呂もなく、食事も用意されているわけがないだが、テントの中に潜り込む事の出来たホッとする安堵感が何とも言えず心地よいものであった。「無事に到着できたっ!」アルコールは昨晩で全て消費されてしまっており、酔えなかったが、全員、食後はすぐに安眠についたようである。
  酒はあまり飲む方ではないのだが、今回はアルコールを持参しなかった事を後悔した。二日目も一緒に飲みたかった。次回は重たくならないようにブランデーを持参したい。

下山中、大きな熊の足跡を発見。まだ新しい。
熊の足跡

  翌朝は6:00に起きたが、撤収に時間がかかり下山の出発は8:20になった。遅れれば遅れるほど札幌到着は遅れ、運転者は辛くなることになる。しかし相泊最奥住宅に居住のガイドS氏宅に寄ったり、鶴居村温泉に入るなどをして、札幌到着は21:00 を回っていた。色々と得るとことの多い山行だった。


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